なんだか今日は気分が上がりません。
頭が重くて、ぼんやりしてしまいます。昨日まで気にならなかったようなことが気になるし、音楽を聴いたり好きな本を読んだりとどうにか元気を出そうと思っても、思うようにいきません。
ふと、森下典子さんの『日日是好日』に、人間の「心のサイクル」についてのお話があったのを思い出します。同書は森下さんがお茶を学ぶ中で感じたこと、教わったことを綴った本で、自分を見失いそうな時、落ち着きをとり戻すヒントになるような言葉を与えてくれる大好きな本です。(映画版も気になっているのですが、まだ見てない……)
ある時森下さんは、同じ教室に通う「魚住さん」という女性が、11月ごろになると無口になることに気が付きます。
「日が短くなってくると、いつもこうなの……」
ポツリと彼女は言った。
気持ちがこもりがちになる。もの思いにふけり、長い静かな夜を、身のまわりの細かなことをして過ごすのだという。
(そういえば、私もそうだ……)
毎年、風炉の季節になって茶室が南の庭に向かって開け放たれる頃、気分が開放的になり、血がさわぎ、何か新しい活動を始めたくなる。その反対に、茶室の障子が閉じられると、視線が自ずと自分の内側に向かう。炉を囲み、燃える炭火を見つめながら、内省的になっていく。
「でも、この季節もいいのよね……」
と、彼女はかみしめるように言った。
「活動的な夏もいいけど、内にこもる季節もいいの。どっちが良くて、どっちが悪い、じゃなくて、どっちもそれぞれがいいのよね」
人生のキャリアを重ねてからお茶を始めた人は、若い時から始めた人とはまた別の奥深い発見をする。
彼女の言葉を聞きながら、私は、改めて人間の心のサイクルという、もう一つの季節を実感した。
茶室が解放されたり、閉じられたりするように、人の心も季節によって変化する。開く、閉じる、また開く……。そのサイクルが「呼吸」のように繰り返される。
世の中は、前向きで明るいことばかりに価値を置く。けれど、そもそも反対のことがなければ、「明るさ」も存在しない。どちらも存在して初めて、奥行きがまれるのだ。どちらが良く、どちらが悪いというのではなく、それぞれが良い。人間には、その両方が必要なのだ。
落ち込んでいるのも、そう悪いことはないかなと思わせてくれますよね。
また私は別の機会にも、同じようなアドバイスをもらったことがあります。
私は気分の波が比較的激しくて、活発に動いていたと思ったら、次の日は気分が落ち込んで思うように動けないとか、自分から人と約束したのに、いざ当日になって人に会いたくなくなってしまうとか、そういうことが多い方です。ひどい時には仕事に手がつかないくらいだるくて、何もできない状況にもなってしまうこともあります。
「波を抑えたい」と思い、ある時カウンセラーさんに相談したことがありました。その時も、こう言われました。「鬱を大切にしてあげなさい。体にとっては、あぁ、やっと休めるってことなんだから」と。
森下さんの小説を読んだ時期と同じ頃でした。
元気だろうと、元気じゃなかろうと、OKです。とりあえず、ちょっと作業したらお散歩にでも行こうかなと思います。それでは。