アボカド日記

都内に住む20代の女が思ってることをつぶやく(語る)ブログです。

私のお母さんは、働くお母さん第一号世代

実家に帰って、母の作った夕飯を食べる。豚キムチと味噌汁。「美味しい!お母さん天才!すごい」と父と私が褒める(うちはすぐ「天才」って言うのです)。「あ、そう?」と嬉しそうな母。

食後、何かの流れで「さっきのでなんか自信ついたな」と母が言う。何が?「私、ちゃんと美味しいもの作れるじゃん、あんたたちが子供の時、こういうの食べさせてたんだなって」

先日、母にこうも言われた。

「なんか、ごめんね。私全然あんたたちのお母さんできなかった気がしてるんだよね。いつの間にか大きくなってたって感じがしてさ」

最近母と話していると、こういう場面がちょいちょいある。“良いお母さんができなかった気がする”。そういった思いを垣間見ると、私はなんだか泣きたくなってしまう(いや、実際ちょっと泣いてしまう)

 

我が家はいわゆる共働きで、母は私と妹が子供の頃からずっとフルタイムで働いてきた。途中から事務仕事に異動になったけれど、長く肉体労働で残業も多く、いつも疲れていたし、体を壊してしまった時期もあった。

祖父母宅が近かった(頼れるように引っ越した)ため、私たち姉妹は、学校の後は両親が迎えに来るまで祖父母宅で過ごすことになっていた。両親の帰りが遅い日は、祖母がつくる夕飯を食べて帰ることも多かった。

当時の私にとって実家は、寝に帰る場所で、夕飯に母の料理を食べていたこともあったはずだが、確かに頻度は少なかったかもしれない。母本人も、忙しすぎて、当時何を食べさせていたの覚えていないという。

「〇〇(妹)が『また鍋〜?』って言ったのは覚えているんだよね。そんなに鍋ばっかだった?」

うん、まぁ、確かに冬の鍋率は非常に高かったかも。冬は鍋、それ以外はあったもので作った炒め物、そうでなければスーパーの刺身盛り。仕事の後なのだ。当たり前だけど、一汁三菜といった「ちゃんとした」料理ではなかったかもしれない。

そんな働く両親を支えていたのは、父方の祖父母だった。特に、おばあちゃん子だった私は、母よりもずっと長い時間を祖母と一緒に過ごした。祖母は昔の人にしては柔軟で、母に仕事を辞めろとは言わなかったけれど、「お宅のお母さんはいいわね(子供を預けて仕事ができて)」と嫌味っぽく言ったりはする人だった。

子供ながらに、そういった祖母の言葉や、祖父母宅の清潔さと実家の乱雑さを比べ、「うちのお母さんはダメなお母さんなのかも」とも、正直思っていたと思う。※祖母はここでは悪者みたいに見えますが、いいところも沢山ある人です。そこについてもいつか。

不思議と、父についてはこういった否定的なイメージが当時からない。ほとんど家事をしなかった祖父と比べると、家事を当たり前にする父は、祖母的にも世間的にも「良い夫」であり、一丁前に世間の見方を内在化した私も、「お母さん、こういうお父さんでよかったね」と生意気に思っていた。

そうやって私たち姉妹は大人になり、それぞれに実家を出た。子供にとっての20年と大人にとっての20年はスピード感が違うだろうし、あまりに忙しくてそれどころじゃなかったのも確かで、母にとっては「あれ、もう?」と言う感じだったのかもしれない。必死だった時期が終わり、やっとゆとりが持てたと思ったのに。「あんたたち、もうお世話いらないの?」と。

 

幼かった頃は「うちのお母さんは、ダメなお母さんなのかも」と確かに思っていた。けれど大人になった今は分かる。働くって、それだけでものすごく大変なのだ。働きながら家庭も維持するって、きっと超、超、超、大変だったのだ。

単純に、経済的な支えも大きい。私たちが日々衣食住に不安なく過ごしてこれたのは、部活に精を出せたのは、大学に行って、留学やら旅行やら面白いことに挑戦できたのは、当たり前のことではなく、両親が働き稼いでくれたからなのだ。

それに母は、私が何かに迷った時や悩んだ時、「いいじゃん!やってみなよ」と背中を押してくれる人だった。失敗するかもしれない。何も結果を残せないかもしれない。お金の無駄かもしれない。そう躊躇する私を、母はいつも応援してくれた。母の応援がなかったら、今の私は存在しない。

私が生まれたのは1995年で、育児介護休業法が改正されたのと同じ年。母は勤めていた会社で育休取得第一号だった。今では当たり前になった共働きだけど、当時はまだ専業主婦世帯の方が多かった時代だ。

小中学校時代は、周囲も働くお母さんも多かった気がする。けれど公立ながら進学校だった高校時代は、同級生の母親は専業主婦かパートをしながら、娘のマネージャーのように世話を焼くお母さんばかりで(そういう家庭はそういう家庭で悩みもあるだろうと思いますが、一旦割愛させていただきます🙏)、母は明らかにママ友の輪に入れていなかった。同じ世代であろうと、両者の価値観には大きな違いがあり、溝があったのだろうと思う。

私の母は、働くお母さん第一号世代。出産後も働くことが当たり前じゃなかった時代に、自分の意志で働き、私たちを育てることを選んだ女だった(もちろん、うちは祖父母の支援があったので、まだ楽だったのだろう。完全に夫婦2人きりだったわけではない)

だから、何が言いたいかというと、私は母に、そうやって生きてきた時間をもっと誇ってほしいのだ。ダメはお母さんだったなんて、思ってほしくないと思っている

 

幸い、最近の母はとても楽しそうです。趣味の家庭菜園に精を出していて、あれやこれや動き回っている。元々、農学部出身のリケジョなのである。調べて、やってみて、失敗から学び、また来年の計画を立てる。そんな母に、畑でできた友達や母を面白がるママ友、それから父は巻き込まれ、みんななんだか楽しそう。母が幸せで、私は嬉しい。

母に直接こんな話をするのは恥ずかしいのだけれど、いつかはしたいと思う。私は母が好きだし、母に感謝している。母が、この先ずっと幸せだといいなと思っている。

無駄に長くなってしまった。書きながら、私がボロボロ泣いてしまった。母と同じ時代を生きてきた方に、働くお母さん第一号世代の皆さんに、今働くお母さんをされている方に、大人になった娘はこう思っている、と伝わると良い。