アボカド日記

都内に住む20代の女が思ってることをつぶやく(語る)ブログです。

あんたは頑張ったよ

あぁ、今日はちょっと、落ち込みそうになることがあった。

シェアメイトと、LINEでちょっとした口論になってしまった。ありますよね、なんだかテキストで論破合戦みたいになってしまうこと。あれ。

「あ、これはヒートアップしちゃダメなやつだ」と思い途中で返信をやめたものの、頭からなかなかその件が抜けず、悶々としてしまう。相手があってのことであり、私が1人で起こしたトラブルではないのだけれど、なんだか落ち着かない。

 

アサーティブ(assertive)という言葉を思い出す。直訳すると「自己主張すること」。コミュニケーションのコツの一つとして使われる際は、自他を尊重した自己主張をすること、というような意味。詳しくはこういったサイトでも紹介しているので、読んでほしい。

www.assertive.org

アサーティブであるということは、「あなたもOK、私もOK」であろうと努力すること。「私はOK、あなたはNG」はアグレッシブ、「私はNG、あなたはOK」ではノンアサーティブ、どちらでもなく、「あなたもOK、私もOK」がアサーティブなコミュニケーションだ。

1年くらい前に知った概念だが、なかなかアサーティブであるのは難しい。私は、ついノンアサーティブ(あなたはOK、私はNG)でありがちだと思う。口論するのがめんどくさくなってしまって、「いいよ、私は気にしないから」となってしまう。

自己主張の少ない、同じような人ばかりであれば特に問題ないかもしれない。けれど人が暮らしていれば、自分と異なる、自己主張が強いタイプに必ず会うもの。そういったタイプに会った時、自分の気持ちを犠牲にせず、「あなた」と同じくらい「自分」を尊重し続けるのは私には難しいのだ。

けど自分を押し殺すのはやっぱり、心に良くない。押し殺された心は、後で私自身に「なんでお前は我慢したんだ」と不満をぶつけたり。良いことなんか、ひとつもない。

 

だから今日は、意見が異なってぶつかった場面で、勇気を出してアサーティブであろうとしたのだ。けど、うまくいかなかった。まぁ、1回で叶う願いじゃなかったとは思う。けど、なんだか思った以上に、あの一件だけで食らってしまったかもしれない。あぁ、なんか、苦しいなぁ(涙が出てきちゃった😂)

きっと口論しかけた相手は、平気でいる。私だけ、重荷を背負ってしまっている気がする。早くこの状況を脱したい。

今日、あんたは頑張ったよ。アサーティブであろうと頑張って自己主張したし、ヒートアップする前に切り上げたし、相手の方がアグレッシブ(あなたはNG、私はOK)タイプで、問題があったと思う。あんたは、悪くない。大丈夫だよ。

 

ちょっと気持ちが落ち着いてきた。書いてみてやっぱり、私は落ち込む必要ない、と思った。さっさと忘れて、楽しいと思うことをしよう。新しい空気を肺に入れて。大きく深呼吸。お疲れ様、私。早く元気になりなよ(自分との会話垂れ流しですみません)

この世を自尊心無しで生きていくなんて、ただのアホかもしれない

自尊心が強い人って、「人に己を嫌わせない力」があるよね、という話をルームメイトとする。

 

ルームメイトにはある男友人がいるのだが、その友人について「なんか話面白くないんだよね」とか「口ばっかりっていうか、言葉が浮ついているっていうか」とか「生理的にも、ちょっとあんまり……」とか言いつつ、なんだかんだと定期的に付き合いがある。

話を聞いていると、その人は確かに話が面白いかと言われれば面白くないし、やっていることが魅力的かと言われれば「うーん?」という感じ。ただ、おそらく本人はそんな自分を、1ミリたりとも卑下したり不安に思ったりしていないんだろうな、という気配がした。

おそらく同じような状況で、その人が少しでも卑屈だったり、ビクビクしていたりしたら、彼女や周囲の人はあっという間にその人を見下したり、付き合いをやめたりしているんだと思う。残酷だけど、そういうものだと思う。人間って。

ルームメイトに「その人、すっごい自尊心高いんだね」と言ったら、「そう!!よくわかったね。自信あるんだよね。“自分なんか”とか、全く思ってない」とのこと。やはり。

彼女曰く、彼は自分への愛、信頼感が揺るぎなく、己に対する不安感があることが全くないとのこと。そして「あの人のこと、嫌っている人っていないと思うんだよね、不思議と」。しかも、「率直に話しても凹まないから、思ったこと言いやすくて、楽」だという。

 

おんなじ能力・立場だったとしても、自分のことを大切に思っている人か、自分のことを「ダメだ」「価値がない」と思っている人とでは、周囲の扱い方も変わってくるのだ。

前者の場合、多少「あれ?」と思うことがあったとしても、「いやでもきっと、この人はきっとすごい人なのだ」と思わせる力がある。不思議と。

反対に後者だと、「この人のことを、見下してもいいんだ」「粗雑に扱ってもいいんだ」「嫌ってもいいんだ」と簡単に思わせてしまう。自分をダメだと思って生活しているのって、「私のこと、見下していいですよ?」というシグナルを送り続けいているようなものなのだと思う。

自分を大切に思う心には、周囲がその人を蔑ろにさせない力があるのだ。

 

「自分なんかダメだ」と思うことは、そもそも本人の心にとっても良いことがない。

自尊心が下がっている時って、同じ状況であっても受け取り方が事実以上にネガティブになる。悪意がない言葉であっても、勝手に食らって勝手に傷つくし、悪意ある言葉をかけられたりなんかすると、思い切り食らってあり得ないくらい傷つく。そこまでいくと、ただのめんどくさい人であり、私はそういうモードの自分が本当に嫌いだ(そうやってまた自分を嫌うという悪循環である。アホか?アホなのか?)。

自分を大切に思っている場合、同じ悪意ある言葉でも、相手の悪意と事実を分けて冷静に受け取れるし、もっといくと、悪意があることに気がつかないくらいの人もいたりする「エレガント人生」さんのコントに出てくるお嬢様キャラはみんな自尊心爆高でおすすめ。あのメンタルを一ミリでも己に取り入れたい)

 

この「受け取り方の違い」には気づいていたけれど、「人からの扱い」自体も、事実として変わるものなのだと、彼女との会話を通して改めて実感した。

 

この世知辛い世の中、自尊心無しで丸裸(どころか敏感で繊細な赤ちゃんのお肌か?くらい無防備状態)で歩いていくなんて、あり得ない所業なんだと思う。赤ちゃんでなくても、カンカン照りの直射日光の下、日焼け止めなしで歩き回ってたらアホでしょ。そんな人いたら、「日焼け止め塗んなさい!」って怒るよ、お母さんは。

私たちは「自分なんかダメだ」と、思ってはいけない。「私は最高」「あんたはいつも頑張ってる」「ありがとうね」と言い聞かせて、誰がなんと言おうと私だけは、私を大好きでいるべきなんだ。

 

と、思うのですがね…………。

これが、難しい。頭ではここまで書いたことを分かっているし、昔よりはずっと良くなったと思う。けれど今でも私は、「あ、今日はいい感じ」という時と、「あ〜今日はなんかだめだ」という日があて、心はいつも揺れ動いている。

今日改めて、自分を貶めるのは、本当に意味がないと再認識したので、これを機に改めて誓おう。あんただけは、あんただけは私の味方でいなければならない。いつだって、何があっても。よろしくね!(己への暗示です)

もうちょっと、流れに身を任せても良いのかも

今日も、日記というより徒然メモ。

近所の、早咲きの桜が満開に近い。もう春は本当にすぐそこ。

私の大好きな「ゆとたわ」でもChatGPTネタをやっていたので聞き、大笑いする(めちゃくちゃ面白いので皆さんにも聞いてほしい)

ゆとりっ娘たちのたわごと: 第69回「ChatGPTごっこ」 on Apple Podcasts

2人でChatGPTごっこをしている最中、AIになりきったかりんさんがナチュラルに「そういえば」と言って話を進めるのだが、「そういえば」って、絶対AIが使わなそうな言葉だな、と思う。

新卒1社目から、キャリアとその時々の選択の背景などをまとめてみる。だんだん冷静に解釈できるようになってきたなと思う。しんどい時ってリアルタイムに己の状態を解釈できない。物事を解釈できるまでには時間がかかる。

主に次の仕事の方向性について悩んでいる。いつまでも悩むわけにはいかない。けどあと少し、もうちょっと寝かさないと、結論は出なそう、と思う。

転職繋がりで、『驚きの介護民俗学』で有名な六車由美さんを思い出し(六車さんは民俗学の研究者から介護業界に転職し、出会ったお年寄りとの会話から「介護民俗学」を提唱した方)ググるとまさに転職時の思いについて語られている記事を発見した。

www.e-aidem.com

コロナで外とのつながりがなくなりしんどい期間もあったが、周りに相談して乗り越えられたという部分が印象的。何かに困ったり、辛かったりするときに、ありのままに相談して、話を聞いてもらえるのって、それができる職場って良いなと思う。私にはそれが必要だったし、私も誰かにとってそんな場になりたい、と思う。

 

同じメディア内はてな編集部が作っているメディアだった)で、月山ももさんの記事を読む。無理するのをやめた、という話。

www.e-aidem.com

無理しているかどうかを自分で気付く基準として、「10年後20年後の自分と地続きか。どこかで断絶していると思うなら、それは今、無理をしているということ」という部分、なるほどと思った。無理しているかどうか気付きにくい人間として、参考にすべし。

 

はてなブログ編集部運営のオウンドメディア面白いな〜と思い、同じくはてなブログ編集部が手掛けるスーモタウンを見ていて、偶然風音さんのこちらの記事を読む。

suumo.jp

「私には何もない」と思う気持ち、わかる。「決めることでしか、選択肢を狭めて始めることでしか、何も始まらない」という言葉、良い。

 

風に乗るように、軽やかに生きる風音さん。私はもうちょっと、頭じゃなくて、感覚、嗅覚に従ってみても良いのかもしれないな、と思う。この感じ、好きだな、と思うもの、場所、こと。直感を信じて、私を信じて、流れに乗ってみてもいいんじゃない? やりたいことをやっていけば、きっと私は私らしい場所に行ける。あ、これだ、と思うものがあるのかも。あるのかな? 分からないけれど。

考えても仕方ない気もする。私はいつだって、「やってみて」きた(その結果、失敗もしてるんだけれども)。だって、やってみなきゃ分からないもの。道には角があって、角の先に何があるかは、その角まで行かなきゃ分からない。歩いているうちに天気が変わったり、思わぬ出会いがあったり、色々ある。着実にキャリアを積んでいかなきゃいけないなんて、思いすぎず。

お金はあったほうがよいけれど。好きだと思った漫画一気に買えたり、行きたい!と思った場所に行けたり、仕事やめたいと思った時にしばらく辞められるくらいには。けどいくら稼いでも、ボロボロの心と体を癒すために、捨てるように使うんじゃ意味がない。お金は必要。けど一旦、もうちょっとシンプルに、私がどうしたいのかを感じてみても、良いかも。

シェアメイトとして、新しく入居するかもしれない人が見学に来る。ご案内は、慣れたもの。いつの間にこんなに時間が経ったのか。新しい人が持ってくる、新しい風。あの人、入ってくれると良いな、と思う。

今日は特に、徒然度がすごい。私のブログサステナビリティを高められてはいるけれど、こんなんで良いのか? 

いや、良いのだ。私は書いて考える人。お付き合いくださっている方、本当にいつも、ありがとうございます(気が向いた時に、生ぬるく見守ってくださいませ)。

オタクになりたい、非オタク

私は昔から、オタク(=何かに熱中する質で、いつも何かに愛を注いでいる人)が羨ましかった。私自身はあまりものにハマらない、非オタク。ハマってもあまり持続しなくて、愛が深まりも大きくなりもせず、割とすぐに飽きてしまう。

オタクからしてみれば、そっちの方が信じられないらしい。今日遊びに来た友人は自他共に認める生粋のオタクだが、彼女は「オタクとはなるものではなく、気づいたらなっているものだ」と言い、「まさかオタクに"なりたい"人がいるとは!」と驚いた。彼女には昔、こうも言われた。「推しがいないって、〇〇(私)はどうやって生きているの?」。知らんがな。オタクじゃなくても、普通に生きてはいけるんですよ。

 

オタクであることは、確かに彼女の言う通り意思ではなく結果なんだと思う。昔から私の周りにはオタクが多くて、私に色々と漫画やアニメやCD等を貸し、舞台に誘い、推しを勧めてきたが、結局私は何にもハマらなかった。

対して、私の妹は明らかなオタクタイプ。映画を見ればその原作はもちろん、演者、監督を調べ上げ、監督がその作品を作るにあたり影響を受けたであろう作品群まで当たって理解に努める。

同じ親から生まれ同じ家庭環境で育ったにも関わらず、この違い。オタクと非オタクを分けるものはなんのか? 脳のタイプの違い? 面白いと思うものの違い? 探究心や飽きるスピード感の違い? 分からないけどとにかく、なる人はなるし、ならない人はならない。それがオタクなのだ(当たり前っちゃたり前だけれど)

 

ただ、「オタクである」「面白いと思うものがある」というのは、精神的に本当に強いと思う(だから羨ましい)

オタクを見ていると、めちゃくちゃ面白そうだなと思う。「あぁ!〇〇さんが今度イベントやるらしい!」「あぁ!来週発売日だ!」とか、面白いことがありすぎて、いつも忙しそう。

また、妹にヒアリングすると、彼女は朝起きて始業するまで推しのことを考え、昼休みまで仕事をして、昼休みの終了まで推しのことを考え、退勤時間まで仕事をし、そして終業後から寝るまで推しのことを考えるという生活を送っていると言う。仕事は別に面白くないが、「面白さ求めてない」のでストレスはない。

一方、私みたいな非オタクは、気になる仕事があると、あっという間に頭の中のほとんどを仕事に支配されてしまう。朝起きて夜寝るまで、頭の中の95%くらいを仕事に向けてしまってたりする。仕事が面白くなかったらもう、生活全部が面白くなくなってしまう。

妹は、推し以外にもうちょっと考えることないんか?と思うものの、これくらいの人だからこそ、「仕事に面白さ求めない」ことができるんじゃないかと思う。

 

私は多分、オタクになることは今後もない。なろうと思ってもなれない。

けれど私は、オタクである妹、友人を見ているのは好きだ。私は基本、「面白いエネルギー」が好きなのだ。人が面白そうにしていると、私も嬉しくなるという得なのかなんのかよく分からない性質なのだ、おそらく。そのせいなのか、周りにはオタクだったり非オタクだったり、両方のタイプの友人がいる。

明日は、そんなオタク友達に連れられ、話題の映画版スラムダンク『THE FIRST SLAM DUNK』を見に行く。何も知らずに挑む私。映画を見てから原作を全巻揃え、もう一度見て、さらに3回目の鑑賞となる友人。私たちは同じコンテンツをどう楽しむのか。

 

とにかく、好きなこと、面白いことがある人は、ぜひ思いっきり面白いと思うことを楽しんでほしいなと思う。それってきっと自分をものすごく救っているし、もしかしたら私のようなオタクになれない非オタクにも、知らずにエネルギーを与えているかもしれませんから(与えているつもりないと思うけど!)

「気持ち切り替えられる人」になりたい

朝起きて、なんとなく気持ちが重くて、「なんでだろうなぁ」と思いながら午前中を過ごし、お昼がすぎ、午後になった。最近はなんとなく調子良かったのに。やっぱりまだだ。このモヤモヤは、なんだ。

 

落ち込み気味の時と、そうではない時では、同じ物事でも受け止め方が全然違う。会う人の印象も、かけられた言葉の意味も、体の重さも、空気の明るさまでもが違ってくる。落ち込み気味だと、誰にも頼まれてない重荷を勝手に背負っている感じで、仕事をするにも、人に会うにも、いらない労力がかかって消耗する。

できれば、落ち込んでる時間は短く、うまく切り替えていきたい。身の回りで起きたことを、わざわざ重くせずそのままに捉えたい。会った人の事をもっと信じて、仲良くなりたい。自分の人生を難しくせず、ありのままに歩いていきたい。どうしたら、うまく気持ちを切り替えられるんだろう。

 

「気持ちを切り替える」って、結構感覚的だよな、と思う。逆上がりができるとか、自転車に乗れるとかと同じ感じ。みんなできるの? なんで? 私できないんだけど?(怒らないで) 

一応、手がかりとなりそうな気がしている感覚がある。最近「今フラットであれているな」と思うときは、「今起きていることに集中する」「ありのままの自分をOKと思う」ことができている気がする。頭で考えるのではなく、それこそ感覚的なところなのだけれど、これができている時は調子が良い。

もとになっているのは、過去に調べたマインドフルネスの考え方であったり、森下典子さんの小説「日々是好日」で読んだお茶の世界であったり、ネット上で見つけた結城浩さんのブログの言葉であったりするのだけれど、それらを頭にインプットしてからしばらく経ち、最近やっと感覚的に分かってきた気がする。あの感じ、もっと確実に掴めたら、「気持ち切り替える」、できるんじゃないかな。

 

と、思っていたら、なぜか自然と、気が重かった原因に思い当たってきた。

まず、私は急ぐのが嫌いなのに、昨日「旅行までの日数をカウントダウンする!」と思い立ってやり始めた。やってみて分かったが、これは無駄に焦る。別に焦らなくていい場面なのに、なんでわざわざ自分を自分で焦らせているのか。やっぱやめよう朝令暮改!)

また昨日、しばらく留守にしていた別のルームメイトが帰ってきたのだが、仕事を辞めたとか、旅行行ってから就活をしようと思っているとかいう話をしたら、「今度こそ、失敗できないね」みたいなことを言われたのだ。あれで多分、私は不安や焦りを感じている。でも彼女の言葉って絶対じゃないし、大事なのは私がどう思い、動くかだ。無駄に焦る必要はない。

あれ??? 私今、「気持ち切り替え」てない?

 

ちょっと、分かった気がする。こうやって、人の感情や価値観、状況に飲み込まれて落ち込んだり不安になったりしているところから、「私の感情はあの人(や状況)と別にある、私の感情は私で決めるのだ」と思うことが、「気持ちを切り替える」ということなのかもしれない。

色々なことがあるけれど、とりあえず、私は大丈夫(急に雑)。落ち込んだら、自分の気持ちをあらゆる外部環境から分離して、「大丈夫大丈夫!あんたは絶対大丈夫!」と応援してあげよう。私を私で応援できる、そんな大人、目指したい(もうあなた大人ですけど)

ああいう事態だけは避けたい、と思っておくこと

先日PCにコーヒーをこぼしてから、「2」だけ調子が悪い。22222222222222222222。押し心地が悪い。けれど壊れなかったことに感謝🙏

先週申請したパスポートが受け取れるとのことなので、朝イチで有楽町交通会館のパスポートセンターへ行く。流石に平日の午前中は空いていて、あっという間に受け取り完了。赤い10年パスポート。あぁワクワク。これで本当に海外に行けてしまう。

交通会館を出て、まだお昼前なので少し歩くことにする。風吹くなか皇居広場を歩き、温かい缶コーヒーを買って飲む。美味しいけど、140円? 本当に高くなったな。

風が強い。上空でもものすごい風が吹いているようで、曇り空をどんどん押し流していく。平日の皇居前広場は観光客もまばらで、ゆったりした雰囲気。同じ場所をこれまで何度も通ったけれど、こんなにゆったりした気持ちでいるのは初めてかもしれない、と気づく。これまではいつも、何かにずっと焦っていた気がする。

帰って、「焦ってたな」と思う頃の日記を読む。うん、焦ってるな。というか、迷い、不安、不満が渦巻いてて、全然落ち着いて仕事ができていなかったんだな、と改めて実感。理想ばっかり大きくて、完璧主義で、いつもいつも自信がなかった。今当時の私にアドバイスができるなら、「ありのままの自分を受け入れろ」と教えてあげたい(今だって受け入れきれているのか微妙だけど、あの頃よりはマシだ)

何をそんなに焦っていたのか。大学の同期と比べて? 会社の同期と比べて? 会ったこともない同年代のクリエイターやインフルエンサーと比べて? 多分どれもだ。自分が今いる場所、やっていることが「合っているのか」確信が持てず、「こんなことをしていていいのか」と気ばかり焦っていた。焦りは頑張るエネルギーになったところもあるけれど、あまり健康的ではなかった(実際病んでしまったし)と思う。できればあの頃のメンタルには戻りたくない。

先日友人に今後の働き方を相談していて、「何がやりたいかも大事だけど、どうしても陥りたくない状況を避けるってのも結構大事だと思うよ〜」とアドバイスをもらった。確かに、理想のイメージを実現しようと思うと狭い線の上を歩くような感じだが、「あの辺りはなんか嫌な感じするから避けて歩くぞ」くらいであれば歩ける範囲が広がって気が楽だ。多少「およよ」とふらついても許容範囲内。大筋OK。落ち着いていられる。

私の場合は、あの焦る感じがとても嫌だなと思う。できるだけあの状態にならないように生きていきたい。実際働くぞ、となったらもっと具体的な条件が必要だと思うが、とりあえず「あの感じは嫌だなぁ」ということを覚えておくことにする。

夜、ルームメイトが作ったガトーショコラを食べる。こんなに美味しいもの作れる人と一緒に住んでるなんて、なんて幸せ。以前は不安とか焦りとかでこういうことも見えなくなってたな。やっぱり絶対、あぁいう事態だけは避けて歩こう。嬉しいことを嬉しいなぁと思い、美味しいものを美味しいなぁと思えるくらいの気楽さを、いつも。

皆様も今日、美味しいものを美味しいなぁと思っておられますように。ハッピーバレンタイン!

植物をお世話するように、周りの人のことを想う

今朝、散歩に出ようと玄関を開けると、雨だった。起きてすぐにカーテンを開けて外を見たのだけれど、あまりに静かに降ってるので気が付かなかった。

傘をさして歩き出すと、空気がちょっと生ぬるくて、ダウンを着ていると暑いくらいだ。なんだかもう、春の雨。冷たく乾燥した風に毎日毎日わぁわぁ言う生活も、もうすぐ終わり。すぐにあの、モワッとした春が来る。

 

自宅に戻って調べ物をしていると、ルームメイトが起きてきて私の背中に手を置き、尋ねるでもなく声をかける。

「調子はどう?雨だけど」

私は天気の影響を受けやすく、コロコロ調子や気分が変わる。だから彼女は「今日のあなたの調子はどう?」と、ほぼ毎日確認してくれる。さりげない、暖かい、優しさ。

「まぁまぁかな、大丈夫」

彼女は私の調子を確認すると、室内の植物たち(種から発芽させたアボカドの苗数株+バラなど)を「元気〜?」と声をかけながら順番に確認し始めた。そうか、分かった。彼女にとって、私はアボカドの苗たちとおんなじ。植物たちに水をやったり、元気がなくなってないか確認するのとおんなじように、私の調子を見ているのね。

発見したことを彼女に報告すると、彼女は笑った。

「確かにそうかも。ていうか私、会社の人たちにもおんなじようにやってるな」

聞くと、毎朝仕事を始めると、同じチームのメンバーたちに「調子はどう〜?元気〜?」と声をかけ、やることを確認し「じゃぁまぁ、みんな頑張ろうね〜」とやっているとのこと。なるほど、植物を育てるようにチームを育てているのか。面白いし、彼女らしい。

 

私たちは、思っている以上に揺らぎやすい。頭で考えているよりずっと。

これから暖かくなったり寒くなったり、調子を崩しやすい季節が来る。せめてお互い思いやりあって、受け入れあって、お世話し合って、過ごしていきたい。

とりあえず、私も彼女を真似して、周りの人に声をかけてみようと思います。ブログを読んでくださるみなさまにも、「調子はどう?お元気ですか?」毎朝遠隔でお聞きしますので、朝が来たら感じてくださいね!(勝手に変なもの送るな!