アボカド日記

都内に住む20代の女が思ってることをつぶやく(語る)ブログです。

この世を自尊心無しで生きていくなんて、ただのアホかもしれない

自尊心が強い人って、「人に己を嫌わせない力」があるよね、という話をルームメイトとする。

 

ルームメイトにはある男友人がいるのだが、その友人について「なんか話面白くないんだよね」とか「口ばっかりっていうか、言葉が浮ついているっていうか」とか「生理的にも、ちょっとあんまり……」とか言いつつ、なんだかんだと定期的に付き合いがある。

話を聞いていると、その人は確かに話が面白いかと言われれば面白くないし、やっていることが魅力的かと言われれば「うーん?」という感じ。ただ、おそらく本人はそんな自分を、1ミリたりとも卑下したり不安に思ったりしていないんだろうな、という気配がした。

おそらく同じような状況で、その人が少しでも卑屈だったり、ビクビクしていたりしたら、彼女や周囲の人はあっという間にその人を見下したり、付き合いをやめたりしているんだと思う。残酷だけど、そういうものだと思う。人間って。

ルームメイトに「その人、すっごい自尊心高いんだね」と言ったら、「そう!!よくわかったね。自信あるんだよね。“自分なんか”とか、全く思ってない」とのこと。やはり。

彼女曰く、彼は自分への愛、信頼感が揺るぎなく、己に対する不安感があることが全くないとのこと。そして「あの人のこと、嫌っている人っていないと思うんだよね、不思議と」。しかも、「率直に話しても凹まないから、思ったこと言いやすくて、楽」だという。

 

おんなじ能力・立場だったとしても、自分のことを大切に思っている人か、自分のことを「ダメだ」「価値がない」と思っている人とでは、周囲の扱い方も変わってくるのだ。

前者の場合、多少「あれ?」と思うことがあったとしても、「いやでもきっと、この人はきっとすごい人なのだ」と思わせる力がある。不思議と。

反対に後者だと、「この人のことを、見下してもいいんだ」「粗雑に扱ってもいいんだ」「嫌ってもいいんだ」と簡単に思わせてしまう。自分をダメだと思って生活しているのって、「私のこと、見下していいですよ?」というシグナルを送り続けいているようなものなのだと思う。

自分を大切に思う心には、周囲がその人を蔑ろにさせない力があるのだ。

 

「自分なんかダメだ」と思うことは、そもそも本人の心にとっても良いことがない。

自尊心が下がっている時って、同じ状況であっても受け取り方が事実以上にネガティブになる。悪意がない言葉であっても、勝手に食らって勝手に傷つくし、悪意ある言葉をかけられたりなんかすると、思い切り食らってあり得ないくらい傷つく。そこまでいくと、ただのめんどくさい人であり、私はそういうモードの自分が本当に嫌いだ(そうやってまた自分を嫌うという悪循環である。アホか?アホなのか?)。

自分を大切に思っている場合、同じ悪意ある言葉でも、相手の悪意と事実を分けて冷静に受け取れるし、もっといくと、悪意があることに気がつかないくらいの人もいたりする「エレガント人生」さんのコントに出てくるお嬢様キャラはみんな自尊心爆高でおすすめ。あのメンタルを一ミリでも己に取り入れたい)

 

この「受け取り方の違い」には気づいていたけれど、「人からの扱い」自体も、事実として変わるものなのだと、彼女との会話を通して改めて実感した。

 

この世知辛い世の中、自尊心無しで丸裸(どころか敏感で繊細な赤ちゃんのお肌か?くらい無防備状態)で歩いていくなんて、あり得ない所業なんだと思う。赤ちゃんでなくても、カンカン照りの直射日光の下、日焼け止めなしで歩き回ってたらアホでしょ。そんな人いたら、「日焼け止め塗んなさい!」って怒るよ、お母さんは。

私たちは「自分なんかダメだ」と、思ってはいけない。「私は最高」「あんたはいつも頑張ってる」「ありがとうね」と言い聞かせて、誰がなんと言おうと私だけは、私を大好きでいるべきなんだ。

 

と、思うのですがね…………。

これが、難しい。頭ではここまで書いたことを分かっているし、昔よりはずっと良くなったと思う。けれど今でも私は、「あ、今日はいい感じ」という時と、「あ〜今日はなんかだめだ」という日があて、心はいつも揺れ動いている。

今日改めて、自分を貶めるのは、本当に意味がないと再認識したので、これを機に改めて誓おう。あんただけは、あんただけは私の味方でいなければならない。いつだって、何があっても。よろしくね!(己への暗示です)