アボカド日記

都内に住む20代の女が思ってることをつぶやく(語る)ブログです。

オタクになりたい、非オタク

私は昔から、オタク(=何かに熱中する質で、いつも何かに愛を注いでいる人)が羨ましかった。私自身はあまりものにハマらない、非オタク。ハマってもあまり持続しなくて、愛が深まりも大きくなりもせず、割とすぐに飽きてしまう。

オタクからしてみれば、そっちの方が信じられないらしい。今日遊びに来た友人は自他共に認める生粋のオタクだが、彼女は「オタクとはなるものではなく、気づいたらなっているものだ」と言い、「まさかオタクに"なりたい"人がいるとは!」と驚いた。彼女には昔、こうも言われた。「推しがいないって、〇〇(私)はどうやって生きているの?」。知らんがな。オタクじゃなくても、普通に生きてはいけるんですよ。

 

オタクであることは、確かに彼女の言う通り意思ではなく結果なんだと思う。昔から私の周りにはオタクが多くて、私に色々と漫画やアニメやCD等を貸し、舞台に誘い、推しを勧めてきたが、結局私は何にもハマらなかった。

対して、私の妹は明らかなオタクタイプ。映画を見ればその原作はもちろん、演者、監督を調べ上げ、監督がその作品を作るにあたり影響を受けたであろう作品群まで当たって理解に努める。

同じ親から生まれ同じ家庭環境で育ったにも関わらず、この違い。オタクと非オタクを分けるものはなんのか? 脳のタイプの違い? 面白いと思うものの違い? 探究心や飽きるスピード感の違い? 分からないけどとにかく、なる人はなるし、ならない人はならない。それがオタクなのだ(当たり前っちゃたり前だけれど)

 

ただ、「オタクである」「面白いと思うものがある」というのは、精神的に本当に強いと思う(だから羨ましい)

オタクを見ていると、めちゃくちゃ面白そうだなと思う。「あぁ!〇〇さんが今度イベントやるらしい!」「あぁ!来週発売日だ!」とか、面白いことがありすぎて、いつも忙しそう。

また、妹にヒアリングすると、彼女は朝起きて始業するまで推しのことを考え、昼休みまで仕事をして、昼休みの終了まで推しのことを考え、退勤時間まで仕事をし、そして終業後から寝るまで推しのことを考えるという生活を送っていると言う。仕事は別に面白くないが、「面白さ求めてない」のでストレスはない。

一方、私みたいな非オタクは、気になる仕事があると、あっという間に頭の中のほとんどを仕事に支配されてしまう。朝起きて夜寝るまで、頭の中の95%くらいを仕事に向けてしまってたりする。仕事が面白くなかったらもう、生活全部が面白くなくなってしまう。

妹は、推し以外にもうちょっと考えることないんか?と思うものの、これくらいの人だからこそ、「仕事に面白さ求めない」ことができるんじゃないかと思う。

 

私は多分、オタクになることは今後もない。なろうと思ってもなれない。

けれど私は、オタクである妹、友人を見ているのは好きだ。私は基本、「面白いエネルギー」が好きなのだ。人が面白そうにしていると、私も嬉しくなるという得なのかなんのかよく分からない性質なのだ、おそらく。そのせいなのか、周りにはオタクだったり非オタクだったり、両方のタイプの友人がいる。

明日は、そんなオタク友達に連れられ、話題の映画版スラムダンク『THE FIRST SLAM DUNK』を見に行く。何も知らずに挑む私。映画を見てから原作を全巻揃え、もう一度見て、さらに3回目の鑑賞となる友人。私たちは同じコンテンツをどう楽しむのか。

 

とにかく、好きなこと、面白いことがある人は、ぜひ思いっきり面白いと思うことを楽しんでほしいなと思う。それってきっと自分をものすごく救っているし、もしかしたら私のようなオタクになれない非オタクにも、知らずにエネルギーを与えているかもしれませんから(与えているつもりないと思うけど!)

「気持ち切り替えられる人」になりたい

朝起きて、なんとなく気持ちが重くて、「なんでだろうなぁ」と思いながら午前中を過ごし、お昼がすぎ、午後になった。最近はなんとなく調子良かったのに。やっぱりまだだ。このモヤモヤは、なんだ。

 

落ち込み気味の時と、そうではない時では、同じ物事でも受け止め方が全然違う。会う人の印象も、かけられた言葉の意味も、体の重さも、空気の明るさまでもが違ってくる。落ち込み気味だと、誰にも頼まれてない重荷を勝手に背負っている感じで、仕事をするにも、人に会うにも、いらない労力がかかって消耗する。

できれば、落ち込んでる時間は短く、うまく切り替えていきたい。身の回りで起きたことを、わざわざ重くせずそのままに捉えたい。会った人の事をもっと信じて、仲良くなりたい。自分の人生を難しくせず、ありのままに歩いていきたい。どうしたら、うまく気持ちを切り替えられるんだろう。

 

「気持ちを切り替える」って、結構感覚的だよな、と思う。逆上がりができるとか、自転車に乗れるとかと同じ感じ。みんなできるの? なんで? 私できないんだけど?(怒らないで) 

一応、手がかりとなりそうな気がしている感覚がある。最近「今フラットであれているな」と思うときは、「今起きていることに集中する」「ありのままの自分をOKと思う」ことができている気がする。頭で考えるのではなく、それこそ感覚的なところなのだけれど、これができている時は調子が良い。

もとになっているのは、過去に調べたマインドフルネスの考え方であったり、森下典子さんの小説「日々是好日」で読んだお茶の世界であったり、ネット上で見つけた結城浩さんのブログの言葉であったりするのだけれど、それらを頭にインプットしてからしばらく経ち、最近やっと感覚的に分かってきた気がする。あの感じ、もっと確実に掴めたら、「気持ち切り替える」、できるんじゃないかな。

 

と、思っていたら、なぜか自然と、気が重かった原因に思い当たってきた。

まず、私は急ぐのが嫌いなのに、昨日「旅行までの日数をカウントダウンする!」と思い立ってやり始めた。やってみて分かったが、これは無駄に焦る。別に焦らなくていい場面なのに、なんでわざわざ自分を自分で焦らせているのか。やっぱやめよう朝令暮改!)

また昨日、しばらく留守にしていた別のルームメイトが帰ってきたのだが、仕事を辞めたとか、旅行行ってから就活をしようと思っているとかいう話をしたら、「今度こそ、失敗できないね」みたいなことを言われたのだ。あれで多分、私は不安や焦りを感じている。でも彼女の言葉って絶対じゃないし、大事なのは私がどう思い、動くかだ。無駄に焦る必要はない。

あれ??? 私今、「気持ち切り替え」てない?

 

ちょっと、分かった気がする。こうやって、人の感情や価値観、状況に飲み込まれて落ち込んだり不安になったりしているところから、「私の感情はあの人(や状況)と別にある、私の感情は私で決めるのだ」と思うことが、「気持ちを切り替える」ということなのかもしれない。

色々なことがあるけれど、とりあえず、私は大丈夫(急に雑)。落ち込んだら、自分の気持ちをあらゆる外部環境から分離して、「大丈夫大丈夫!あんたは絶対大丈夫!」と応援してあげよう。私を私で応援できる、そんな大人、目指したい(もうあなた大人ですけど)

【あと29日】歯が痛い

歯が痛い。歯列矯正をしているので、その痛みだ。

やったことある方はご存知だと思うが、歯列矯正って1ヶ月に一回お医者さんのところに行って、新しいワイヤーやゴムをかけて歯に圧力をかける。圧力をかけてから数日は歯が強く押されて痛みが出るが、歯が動いてきて(あとゴムが伸びてきたりして)「あ、そういえば最近全然痛くないな」と思った頃に、次の通院日がくる。また圧をかけられる→痛い→「あれ最近…?」→圧をかけられる→痛い→「あれ最近…?」→圧をかけられる→(以下同)。その繰り返しを約2年やって、歯を動かしていく。

私は大人になってから、自分の意志とお金でやってるので「終えた暁に手に入るものを思えばなんのこれしき」という感じだが、大人に「やれ」と言われてやってるお子さんは大変だなと思う。担当医が言っていたが、歯列矯正は「本人の意志と覚悟」が非常に重要。だって、普通に痛いし面倒だしご飯食べにくいし、面白いことは何もない。子供って自分の歯並び気にしてないこと多いし、「あんたの歯はダメだから直そう」って親に言われるのって、その方が傷つかないだろうか。

けどやっぱり、お金を出してくれるのはありがたいし、子供の時にやれば顎の形から影響を与えることができるのでより根本的に治療ができるらしいし、歯は一生物だし。お子さんを思っての投資だと思うのでそれも愛ゆえに、なので難しい。ただ、「本人の意志と覚悟」は必要だと思う。本当に。

で、昨日が私の「圧力かけ日」だった。だから今日はそんな歯の痛みに耐えつつ、ルームメイトのお遣いを引き受けひとっ走りし、確定申告(医療費控除)を済ませ(めちゃくちゃ時間かかったのに還付金は驚きの165円……!)、返信しなきゃと思いつつ2〜3日寝かせていたメール・LINEを3件返し、旅行に向けて保険内容と連絡先を調べ、当日の現地イベントを調査し、やろうと思っていたことを一通りできた。

でも出発までは、あと29日。あっという間だ。やらなければいけないことはもっと色々あると思う。え、それこれから毎日カウントするの?と思った方、はい、そうです。多分毎日カウントします。旅行は「あと何日」と指折り数えることから始まっているのです。お付き合いいただければ幸いです!(途中で飽きたらすみません🙏)(いや飽きるなよ)

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出発まであと【29日】

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海外旅行保険の内容・連絡先調べた

イースターのイベント調べた

・行きたいところマッピングした

海外旅行ってやっぱり面白い、はず

ここ数日、ちょっと「良いこと」を書きすぎている気がしており、このままだと飽き性の私が、書くのが億劫になるという事態が発生しそうである。あまり、読んでくださる方を意識しすぎるのも良くない。私のブログサステナビリティを優先し、今後はもう少し適当に記事を書いていくぞ、と思っているので何とぞよろしくお願いします(勝手にしろよ)

 

今私は、ある旅行の準備を進めている。実は昨日の夜、航空券も買ってしまった。行き先はヨーロッパのとある国。もういくしかない。きっかりあと30日後、私は4年ぶりの海外旅行に出発する。あぁ、不安だけど、ワクワクしてます!

今日本屋に行って、旅行先のガイドブックを買ってきた。悲しいことに、どの出版社もこの3年間新しいガイドブックを発行していないようだ。みんな2019年版で発行が止まっていて、あっ21-22年版!と思ったらハワイとか台湾とか、限られた国だけ。あの『地球の歩き方』さえも、『日本の歩き方』なる日本国内ガイドブックを発行する方向で生き残りを図っているようで、あれあれ、日本人の海外旅行文化は2019年を最後に消滅してしまったのか?という「時止まり」具合だった。

これは本当に、日本人がコロナを機に海外に遊びにいくということを忘れかけてる状況なのではないか? 先が見えないと言ったって、もうコロナ対策は終わりに向かってるし、行こうと思えば行ける状況ではあるはず。それでも各社がガイドブックを作らないということは、需要が見込めない、ということなのかもしれない。

日本人の給料は上がらず、世界の物価は上がってるんだから、当たり前なのか。円高の時はまだ良かったけれど、この円安では。かくいう私も、きっとこんな機会がなければ、将来のための貯金を優先していたかもしれない。

けどやはり、海外は日本国内の旅行とは全然違うワクワク感があると思うのだ。実際もう、本屋のガイドブックコーナーだけで私は興奮している。あそこも行きたい!あれも食べたい!これも買いたい!あぁ、あぁ、あぁ!!!!

お金が無限にあれば。しかしそんな夢を語っても仕方ないので、慎ましく、けどせっかく行くのだからお金で機会を諦めることはせず、メリハリのある旅行を目指そうと思う。

 

あと30日。あと30日で、私は旅立つ(浮かれずにちゃんと備なさいよ!)

ああいう事態だけは避けたい、と思っておくこと

先日PCにコーヒーをこぼしてから、「2」だけ調子が悪い。22222222222222222222。押し心地が悪い。けれど壊れなかったことに感謝🙏

先週申請したパスポートが受け取れるとのことなので、朝イチで有楽町交通会館のパスポートセンターへ行く。流石に平日の午前中は空いていて、あっという間に受け取り完了。赤い10年パスポート。あぁワクワク。これで本当に海外に行けてしまう。

交通会館を出て、まだお昼前なので少し歩くことにする。風吹くなか皇居広場を歩き、温かい缶コーヒーを買って飲む。美味しいけど、140円? 本当に高くなったな。

風が強い。上空でもものすごい風が吹いているようで、曇り空をどんどん押し流していく。平日の皇居前広場は観光客もまばらで、ゆったりした雰囲気。同じ場所をこれまで何度も通ったけれど、こんなにゆったりした気持ちでいるのは初めてかもしれない、と気づく。これまではいつも、何かにずっと焦っていた気がする。

帰って、「焦ってたな」と思う頃の日記を読む。うん、焦ってるな。というか、迷い、不安、不満が渦巻いてて、全然落ち着いて仕事ができていなかったんだな、と改めて実感。理想ばっかり大きくて、完璧主義で、いつもいつも自信がなかった。今当時の私にアドバイスができるなら、「ありのままの自分を受け入れろ」と教えてあげたい(今だって受け入れきれているのか微妙だけど、あの頃よりはマシだ)

何をそんなに焦っていたのか。大学の同期と比べて? 会社の同期と比べて? 会ったこともない同年代のクリエイターやインフルエンサーと比べて? 多分どれもだ。自分が今いる場所、やっていることが「合っているのか」確信が持てず、「こんなことをしていていいのか」と気ばかり焦っていた。焦りは頑張るエネルギーになったところもあるけれど、あまり健康的ではなかった(実際病んでしまったし)と思う。できればあの頃のメンタルには戻りたくない。

先日友人に今後の働き方を相談していて、「何がやりたいかも大事だけど、どうしても陥りたくない状況を避けるってのも結構大事だと思うよ〜」とアドバイスをもらった。確かに、理想のイメージを実現しようと思うと狭い線の上を歩くような感じだが、「あの辺りはなんか嫌な感じするから避けて歩くぞ」くらいであれば歩ける範囲が広がって気が楽だ。多少「およよ」とふらついても許容範囲内。大筋OK。落ち着いていられる。

私の場合は、あの焦る感じがとても嫌だなと思う。できるだけあの状態にならないように生きていきたい。実際働くぞ、となったらもっと具体的な条件が必要だと思うが、とりあえず「あの感じは嫌だなぁ」ということを覚えておくことにする。

夜、ルームメイトが作ったガトーショコラを食べる。こんなに美味しいもの作れる人と一緒に住んでるなんて、なんて幸せ。以前は不安とか焦りとかでこういうことも見えなくなってたな。やっぱり絶対、あぁいう事態だけは避けて歩こう。嬉しいことを嬉しいなぁと思い、美味しいものを美味しいなぁと思えるくらいの気楽さを、いつも。

皆様も今日、美味しいものを美味しいなぁと思っておられますように。ハッピーバレンタイン!

植物をお世話するように、周りの人のことを想う

今朝、散歩に出ようと玄関を開けると、雨だった。起きてすぐにカーテンを開けて外を見たのだけれど、あまりに静かに降ってるので気が付かなかった。

傘をさして歩き出すと、空気がちょっと生ぬるくて、ダウンを着ていると暑いくらいだ。なんだかもう、春の雨。冷たく乾燥した風に毎日毎日わぁわぁ言う生活も、もうすぐ終わり。すぐにあの、モワッとした春が来る。

 

自宅に戻って調べ物をしていると、ルームメイトが起きてきて私の背中に手を置き、尋ねるでもなく声をかける。

「調子はどう?雨だけど」

私は天気の影響を受けやすく、コロコロ調子や気分が変わる。だから彼女は「今日のあなたの調子はどう?」と、ほぼ毎日確認してくれる。さりげない、暖かい、優しさ。

「まぁまぁかな、大丈夫」

彼女は私の調子を確認すると、室内の植物たち(種から発芽させたアボカドの苗数株+バラなど)を「元気〜?」と声をかけながら順番に確認し始めた。そうか、分かった。彼女にとって、私はアボカドの苗たちとおんなじ。植物たちに水をやったり、元気がなくなってないか確認するのとおんなじように、私の調子を見ているのね。

発見したことを彼女に報告すると、彼女は笑った。

「確かにそうかも。ていうか私、会社の人たちにもおんなじようにやってるな」

聞くと、毎朝仕事を始めると、同じチームのメンバーたちに「調子はどう〜?元気〜?」と声をかけ、やることを確認し「じゃぁまぁ、みんな頑張ろうね〜」とやっているとのこと。なるほど、植物を育てるようにチームを育てているのか。面白いし、彼女らしい。

 

私たちは、思っている以上に揺らぎやすい。頭で考えているよりずっと。

これから暖かくなったり寒くなったり、調子を崩しやすい季節が来る。せめてお互い思いやりあって、受け入れあって、お世話し合って、過ごしていきたい。

とりあえず、私も彼女を真似して、周りの人に声をかけてみようと思います。ブログを読んでくださるみなさまにも、「調子はどう?お元気ですか?」毎朝遠隔でお聞きしますので、朝が来たら感じてくださいね!(勝手に変なもの送るな!

できるだけありのまま、思っていることを書いていきたい

ブログを始めて、丸2週間が経った。あっという間だった。

会社を辞めて、あれやこれや模索する中ではてなブログを見つけ、読んだり書いたりしているうちに、自分の中にあったいろいろな思いに、改めて出会い直してきた感覚がある。

やりたいことがあって、人生を面白そうに送っている人が好きだな、私もそうなりたいな」とか、「学生時代の旅、面白かったなまた行きたいな」とか、「自分、発信することを極端に恐れているな」とか、「ときどき、恐ろしく気分が落ち込んでしまう時があるな」とか、「過去の失敗がトラウマになって、自分を押さえつけすぎているのかもな」とか。

「書く」効果はすごい。書いているうちに、「あぁ私はこう思っていたんだな」と改めて気づかされる。ありのままの自分の思いを観察することで、長年あると分かりつつどうすることもできなかった問題に、やっと向き合えている気がする。

そして、読んでくださる方や、スターをくださる方の存在もとても大きい。(読んでくださる人がいると思うだけでありがたいのです。本当にありがとうございます🙏)

私のブログはきっと、現実で話したら悪気なくアドバイスや強い励ましを与えられるような内容も多いはず。けれど多分、私に必要だったのはアドバイスではなく、批評・判断なく聞いてもらうことだったのだと思う。

「あなたの思っていること、分かるよ」「そういう時あるよね」「あなたはひとりぼっちじゃないよ」。別にそう思ってスターを投げて下さっているのではないと思うが、私は勝手に、そう受け取っています(悪しからず……!)。

そうやって、「自分の気持ちや考えを外に出し、受け入れてもらう」を繰り返していたら、自然と明るい目標も浮かんできた。もう少し準備を進め、またブログに進捗を書きたいと思う。

私の心は揺れやすい。けれど、この場所を大事にしていければ、大丈夫だと思っている。これからもできるだけありのまま、今思っていることをアウトプットしたい。どうぞ、よろしくお願いします(勝手にお願いするな)